最後の弁当 悲しい弁当

最後の弁当 悲しい弁当

どうも、俺はバツイチです。

しばらく別居していた期間があって、それでももう一度やり直そうとして家に戻ったことがありました。俺が家を出ていたんです。

別居で一人暮らし中は、食べたいものを自分で作ってお弁当も自分で作っていました。

もう一度家に戻った時、よく話し合いました。

家族で協力して生活できなかったら、今度こそ別れようと。

 

俺は転職してかなり遠くへ通勤することになったので、毎日妻が弁当を作ってくれた。お互いの会話は相変わらずなかったけど、毎日の弁当だけは作ってくれた。

 

 

 

ある時、お弁当を持っていくのを忘れたことがあった。

帰ってきたらお弁当があって、それを夕飯に食べた。

 

 

小さな会社だったけど俺はもっと稼ぎたかったので頑張って、転職して3ヶ月で社長の次のポジションについた。社長はIT系に疎かったので、俺がビジネスプランを考えて他の社員を引っ張っていた。社長や社員とのコミュニケーションもうまくいっていた。

 

だけど社長が少しずつおかしくなっていた。

ある時、俺はあることに感づいた。

 

 

ある日、銀行員が数人来て社長と何か話していた。

俺はどんな話か、ある程度見当がついていた。

 

銀行員が帰ると社長は俺を社長室に呼んだ。

 

 

 

 君、この会社やってくれへんか?

 

 え?どうしたんですか?

 

 もう銀行がお金を融資してくれへんのや・・・

 

社長は目にいっぱい涙を溜めていた。

 

 

 やっぱりそうですが・・・

 

 社長、会社閉めましょうか。

 

社長はこの日も、そして俺が退職する日もワンワンと泣いた。

 

 「助けてくれてありがとう」と

 

俺はあのとき気がついていた、この会社にはもう資金がないのだなと。

俺がこの会社に来た時は、WEBコーディングもろくにできない社員がゴロゴロいた。それで営業売り上げは一円も上げていなかった。社長はうまくいかないIT系のベンチャー企業をやっていくのがとても辛かったのだろう。

 

いろんな残務処理があったので1ヶ月は会社を続けたが、その後は営業規模を縮小して残る人だけ残った。だけどその後、やっぱりこの会社は倒産した。

 

ベンチャー企業だったが夢や可能性があるから入ったというより、俺もタイミング的にこの会社に入らざるを得なかった事情があった。

 

今でも思うことがある。

今の俺のWEBの知識があれば、あの会社を救えたんじゃないかと。

 

仕事がなくなった俺は、家に帰って妻に告げた。

 

 ごめん、会社潰れた。

 もう一緒にやっていかれへん。

 俺は実家に帰る。ごめんな。

 

妻は何も言わなかった。

妻が弁当を作ることももうなくなった。 

 

すぐに転職先を探せばよかったのかもしれないけど、俺にはもうその力が残っていなかった。その年の冬ぐらいに俺はとうとう、うつ病になってしまった。

 

とてもつらかった。

 

俺はにもう誰も守れないと思った。

 

 

俺が今、とても優しい人間になっているとしたら、
こういうつらい経験があったからかもしれない。

 

会社がなくなることも、家庭がなくなることもとても辛いことだ。

でも全部乗り越えて今日がある。